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商品名 | 最高値 | 最安値 |
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喜如嘉の芭蕉布 平良敏子さん藍コーザー織の夏物着物 | 600000円 | 360000円 |
喜如嘉の芭蕉布 平良敏子さん絣文様の単衣着物 | 405000円 | 243000円 |
喜如嘉の芭蕉布 平良敏子さん 銭玉 (ジンダマー)の着物 | 225500円 | 135300円 |
平良敏子さんが作った喜如嘉の芭蕉布に琉球紅型で染めた着物 | 280000円 | 168000円 |
喜如嘉の芭蕉布 平良敏子さんスティチンファー柄の着尺 | 355500円 | 213300円 |
喜如嘉の芭蕉布にはアキファティ柄、クヮーサーハナアーシ、クヮーサー番匠、ケーキ柄、風車 (カジマヤー)、スティチンファー柄、トゥイグヮー、波型、ジンコービーマー、さいの目、トーニーハナアーシ、銭玉 (ジンダマー)、ヒキサギーアヤナーカ、三段組 (ミダングミー)、ジンダマバンジョー、ゴーマーイー、ジンダマーハナユイなどの柄があります。
また、喜如嘉の芭蕉布の白生地に琉球紅型の玉那覇有公さんなどによって染められた作品もあります。
ただ特別大きくプラス査定になるというのはなく、優劣なく人気があるといった感じです。
喜如嘉の芭蕉布で大きくプラス査定になるのは、人間国宝である平良敏子さんの作品かどうかです。
平良敏子さんは1921年、大宜味村喜如嘉に生まれました。
彼女は、戦前から芭蕉布の産地として知られる喜如嘉で経験を積んだ人々を組織し、沖縄戦で被った芭蕉布の打撃を回復させるために尽力しました。
彼女は1974年に、喜如嘉の芭蕉布が国の重要無形文化財として指定される際、保存活動を行う団体の代表に就任し、後継者育成にも力を注ぎました。
平良さんは糸バショウの栽培から始まり、糸の紡ぎ方、染色、そして織り方まで、芭蕉布の制作工程全般に通じていました。
彼女は沖縄独自の織り方を生かしつつ、緯糸をずらすことで絣の文様を自在に生み出す手結いの技法などを駆使して、現代の作品を創作しました。
彼女の功績が認められ、1994年に沖縄県の功労者として表彰され、2000年には重要無形文化財保持者である人間国宝に認定されました。
さらに平良敏子さんの作品は2022年に亡くなったことによって、買取相場も上がってきています。
どこで、誰が作ったかなどの情報を書いてある証紙は仕立てた際に出る端切れに貼られてるので着物と一緒に保管してるかもしれないです。
捨てずに査定の際に見せるようにしてください。
買取相場を見ていただいてわかる通り、お店によって金額が全然違います。
上記の査定ポイントを考慮しつつ買取店独自の査定基準に照らし合わせて喜如嘉の芭蕉布の買取価格が決められていくので、お店によって差額が大きく出たりします。
できれば2~3社ほど大手の着物買取店に査定をお願いして相見積もりをとるのがオススメです。
この記事を書いたファミリーリサイクル店長の増子です。
当店では着物の出張買取を現在休止しています。
そこで10年以上、着物買取に携わった経験を元に着物を高く売る方法について解説していきます。
このページで紹介する業者がオススメな理由については下記のページに詳しく書いたのでご覧ください(^^)/
店舗名 | 出張買取のファミリーリサイクル |
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運営会社名 | フリーラン株式会社 |
所在地 | 岐阜県可児市星見台1-18 |
電話 | 090-1560-6278 |
代表者 | 増子大介 |
設立 | 平成24年2月 |
古物商許可 | 第543862009700号 |
喜如嘉の芭蕉布は、沖縄県北部の大宜味村喜如嘉で作られる織物です。
芭蕉という大きな植物から取れた繊維を使って織られる布で、昔から沖縄では着物の生地として親しまれてきました。
その特徴は、風通しのよいさらりとした生地であり、薄くて張りがあります。
この布はトンボの羽に例えられることもあり、体にしっかり張り付かず、湿気が多い沖縄で重宝されてきました。
芭蕉は沖縄で自生していますが、喜如嘉ではより優れた繊維を取るために栽培を行い、糸を取るまでに3年かかります。
収穫された芭蕉は手作業で処理されて繊維に加工されます。
そして、一反の芭蕉布を織るのにかかる時間は、芭蕉の採取から3カ月かかり、その間には60本もの芭蕉の木が必要となります。
このように、喜如嘉の芭蕉布は地元の素材を使い、一貫した手作業で栽培、染色、織りなどが行われるため、国内でも希少な存在であり、幻の織物と呼ばれる理由となっています。
芭蕉布とは、古くから沖縄で作られてきた伝統的な織物で、その歴史は13世紀頃までさかのぼると言われています。
琉球王朝時代には、王族や貴族が高品質な芭蕉布を身に着けており、そのために王府内には専門の職人である芭蕉当職がおり、王府専用の芭蕉園も管理されていました。
時が経つにつれ、芭蕉布は一般庶民にも広まり、沖縄各地の家庭で生産されるようになりました。
1895年(明治28年)には、喜如嘉の女性が芭蕉布に絣模様を取り入れるなどの工夫をし、芭蕉布が工芸品として発展するきっかけとなりました。
喜如嘉では、農業以外の収入源として芭蕉布の生産が盛んになり、品評会で高い評価を受けるようになりました。
1939年(昭和14年)には、東京三越での特産品即売会に出品され、喜如嘉の芭蕉布が注目を浴び、全国的に知られるようになりました。
戦時中は生産が中断されましたが、1945年(昭和20年)の終戦後には生産を急ぎ再開し、芭蕉布の復興に力を入れました。
そして、1972年(昭和47年)に芭蕉布は国の貴重な無形文化財に指定され、喜如嘉ではその伝統を大切にし、今も芭蕉布の織り方を受け継ぎながら、伝統工芸としての地位を築き上げています。
1.芭蕉の栽培と収穫の過程では、芭蕉の皮を手作業で丁寧に剥いでいきます。
この作業では、芭蕉の幹を層に分けて、外側から一枚ずつ剥いでいきます。
剥ぎ取られた皮は、硬さに応じて用途によって分類されます。
最も外側の硬い皮は、小物やタペストリーなどに使われます。
内側に行くほど繊維が柔らかくなり、着物などに向いています。
一番内側の繊維は染色に使用されます。
2.苧剥ぎで剥がれた芭蕉の皮は、大きな鍋に木灰汁で煮られます。
この木灰汁はアルカリ性を持ち、芭蕉の繊維を柔らかくする役割を果たします。
ただし、木灰汁の濃度が強すぎると繊維が傷つき、薄すぎると柔らかさが不足します。
したがって、木灰汁の濃度の調整は非常に慎重な作業が必要です。
3.木灰汁で柔らかくなった芭蕉は専用の道具でしごかれ、表面の皮が取り除かれます。
これによって光沢のある繊維が現れ、糸として使われる部分が整理されます。
これらの繊維は糸に整形され、風通しの良い場所で乾燥させられます。
4.乾燥した糸は小さな玉に巻かれ、一本ずつ継ぎ合わせて長い糸になります。
この作業は非常に根気と精度が求められる作業であり、芭蕉布の品質に影響を与える重要な工程です。
5.糸に撚りをかけることで毛羽立ちを取り除き、整えられた糸を染める準備が整います。
霧吹きで湿らせながら糸に撚りをかけ、糸を整えていきます。
6. 絣結びとは、糸を引っ張って真っ直ぐに横に張り、染めない部分に芭蕉の皮を巻き付け、その上から紐で縛り固定する技術です。
ただし、縛り方が強すぎると糸が切れてしまい、弱すぎると染まってしまうため、適切な力加減が重要です。
7. 染色作業では、芭蕉布には想思樹や琉球藍などの染料が主に用いられます。
特に琉球藍は、常に藍の状態を管理する必要がある繊細な染料です。
絣などの模様を作る際には、糸に芭蕉の皮で結び、模様を浮き立たせます。
模様は事前に詳細に計画され、規則的な並び方で作られます。
8. 織りの準備作業では、長い工程を経て仕上げた糸を織り機にかけて、織り作業に入ります。
織り機に糸をかけて縦糸を巻き取り、織りの下準備が整います。
9. 続いて織り作業では、芭蕉布の製作全体のわずか1%程度を占めます。
芭蕉の糸は乾燥に弱く、晴れた日には切れやすいため、織るのに最適な季節は梅雨時期とされています。
現在は、霧吹きで湿気を与えつつ通年で織ることもできますが、切れやすい糸の調子を見ながらの作業は、集中力を必要とします。
10. 最後の工程である洗濯作業では、織り上がった芭蕉布はまだ繊維が弱く、製品として使用することができません。
仕上げた反物を丁寧にこすり、水洗いした後、木灰汁で再度煮ます。
その後、米かゆを発酵させた酸性の液ユナジに浸し、布のアルカリ性を中和します。
こうして布を丈夫なものに仕上げます。
最後に布の両端を引っ張ってサイズを整え、湯飲み茶碗で布をこすり、縮れを伸ばし、貴重な芭蕉布が完成します。
名称 | 住所 | 電話 | ホームページ |
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大宜味村立 芭蕉布会館 | 〒905-1303 沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉454 | 0980-44-3033 | https://bashofu.jp/ |